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温故知新 Episode-01 ZEROからの出発 Episode-01 ZEROからの出発

本社は「染色工場の間借り」
創業メンバー食べるものにも事欠く戦後の混乱期。今の若い人たちには想像もできない苦難の日々…しかし、この時代は、逆境をバネに、ベンチャースピリットを内に秘め、モノづくりにこだわる情熱家を、次々と排出した「夢」の時代でもありました。例えば世界有数の企業にまで発展を遂げたソニーや本田も、最初は戦後の町工場から細々とスタートしたのは、有名な話。

そのような中で京都製作所も町工場、というより京都・竹田街道のある染色工場の敷地を間借して、昭和23年に創業します。



最初は「部品加工屋」
製作した部品京都製作所は、設立当初「国庫収入の為のたばこ増産」という国策の一環の下で、当時の専売公社(現JT)に、機械や部品を納入するメーカーとして設立されました。今でこそ嫌われもの「たばこ」ですが、当時からたばこは大切な国の収入源であるとともに、その生産を機械化することは、日本の工業化政策の一環でもあったのです。

国策にささえられ、順風満帆なスタートだったろうと思われるかもしれませんが、現実はそんなに甘くありません。「敵は本能寺にあり」。ライバルは他社だけでなく、なんと、専売公社の研究所。しかも最初は部品加工だけで、高精度の部品を加工する設備もなく、外国製機械の修理依頼があってもわからない事だらけでした。ちんぷんかんぷんな機械を分解、組立、そしてまた分解と当時の技術者は大変苦労したといいます。でも、当時の若い技術者たちは夢だけはすてませんでした。「いつか、専売公社に完成機を納めてやるんだ」「必ず自社製品をもつんだ」という思いは、やがて少しづつ実を結んでいくのです。


第一号機完成
輸送用裁柄(さいへい)機
部品加工や修理・保守点検など、試行錯誤と地道な作業で得たノウハウと技術力、そしてお客様への信用が、昭和28年にやっと結実します。「輸送用裁柄(さいへい)機」。これが京都製作所が機械メーカーとしてはじめて市場に送り出した、まさに第一号機なのです。構造は今の技術水準から見れば、極めてシンプルなのですが、当時の生産能率を飛躍的に向上させ、しかも作業中に指を切断するといった事故を、未然に防止する事ができるという安全面での評価も高く、改良機を加え、最終的には400台を越えるヒット商品となりました。

京都製作所の事業コアである包装機械とは一見無縁のようですが、とにかく食うや食わずやの状況下で、技術者たちの熱い思いが生んだ、エポックメイキングマシンとして「輸送用裁柄(さいへい)機」は、京都製作所の(技術、働き方などの)まさに原点といえるのかもしれません。

※輸送用裁柄(さいへい)機
たばこを生産する工程で、たばこの葉っぱを処理する機械。具体的には、わらの紐で束ねられた、たばこの葉っぱの紐の部分だけを裁断して、バラバラにし、加工行程に送り出す装置のこと。


マッチとの出会い

最近あまり見かけなくなったマッチ。100円ライターの登場が、マッチを市場から一掃してしまった感があります。ところが過去、マッチが非常に大切な物資として、多くの国で専売制を施行していた時代がありました。当時は、スイスに本社を置く「マッチトラスト」が世界市場を席捲しており、戦後、日本上陸に対する脅威は計り知れないものがあったといいます。というのも、当時の日本のマッチは、下町の小規模工場、いわゆるマニファクチャーによる手作り状態で、生産性向上云々以前の状況下にあったのです。

当時、タバコと切っても切れない関係にあったマッチ…「輸送用裁柄(さいへい)機」の完成後、京都製作所が新たの機械開発の矛先を、マッチの生産合理化機械の開発に向けたことは、もはや避けて通れない道でもありました。


マッチ箱製造機開発
抽斗(ひきだし)製造機
各方面が注目する中、京都製作所第二号機「抽斗(ひきだし)製造機」が完成します。 抽斗(ひきだし)とは聞きなれない言葉ですが、これは業界用語で、マッチ箱の内箱のこと。当時は、マッチを入れる小さな箱も、1つ1つ手作業で組み立てられていました。薄い板を曲げて箱にし、紙を貼ってのりを乾かす、という行程を経て完成したマッチ箱は、板の曲がりが悪く、のりが乾燥していない等、生産性・品質とも低いものだったといいます。この課題に対し、京都製作所の技術者は、素材をすべてボール紙で完結させるという、画期的なアイディアを思いつき、約1年の製作・改良を重ね、昭和29年に第1号が納品されました。

「マッチの近代化は小箱から」を合言葉に、開発された機械は高い評価を受け、次に外箱の製造機械の開発にも着手。昭和33年、「側函(がわばこ)製造機」が完成するに至ります。実はこの機械、意外なところで大きな付加価値を生むことになります。それは広告媒体としてのマッチ。ボール紙だけて製造する事で、精巧なデザインを外箱に描く事ができる上、大量のロットを短期間で納品できる…この「側函(がわばこ)製造機」の登場は、銀行、ホテル、飲食店等を対象とした広告用素材として、マッチを一般市場に爆発的に広めた、その原動となりました。

※抽斗(ひきだし)製造機
型に合わせてマッチ箱1個分に打ち抜かれたボール紙を、数百枚ホッパーに挿入、折り曲げて糊付けして、小箱に完成させる行程を自動化したもの。当時としては画期的な機械であった。


包装の原点、そして技術者の執念
製品発表会と当時の開発スタッフ「抽斗(ひきだし)製造機」「側函(がわばこ)製造機」、この2台の成功は、いよいよ京都製作所の基盤となる、「包装機械」の足がかりを掴む商品開発へと進展していきます。

それが、「マッチ箱詰機」です。できた箱に小さなマッチ棒をたばねて詰める、最も多くの人手を必要とした行程を自動化できれば…当時の日本としては、前代未聞の仕組を開発すべく、技術者は、試行錯誤の上、試作機を製作。ところが、ここでまた難題が発生したのです。マッチは、軸に比べ頭の火薬部が大きいため、箱に単に詰めると、中に隙間ができてしまいます。振ってみると当然カチャカチャ音がする…実は、この「カチャカチャ」が、大変問題視されたのです。 日本人の勤勉さを垣間見るエピソードですが、この無理難題に京都製作所の技術者達は果敢に取り組みます。

軸の部分を中心に箱に詰め込む仕組を1年がかりで考案し、並行する形で、外箱に中箱を差し込む「差込装置」、マッチを同方向に揃えて集積する「軸揃機」を次々と開発、今で言う、マッチ(生産品)一括製造・包装工程ラインの基礎を完成させたのです。これが、後述する京都製作所・2大大型開発プロジェクトへと結実していきます。

これら一連のマッチ箱製造機を開発した主要スタッフ、実は機械工学のエキスパートではありませんでした。 元々は、機械の保守点検が主な仕事で、機械製作、ましてや設計などの経験もない。設備もない。お金もない。それこそゼロから、長年の下積み経験と勘だけで、これらのマシンを作り上げてきた…お客様の課題に決して「できない」といわない…創業以来、寝食を忘れ地道な作業に取り組み培ってきた技術力とノウハウ、不安定な経営を何とか立て直そうという責任感、そして何より「メーカーとなって、素晴らしい機械を世に送り出す」という技術者魂が、そうさせたのかもしれません。



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