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私たちのミッションは 「誰もつくったことのない機械設備」 を世の中に送り出すこと

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営業秘話:DVDパッケージングマシンの誕生営業秘話:DVDパッケージングマシンの誕生

●京都製作所の営業について

京都製作所の営業は、いわゆる『提案型営業』である。あらかじめ出来上がったものを売るのではなく、基本的に受注生産という形で顧客が工場で抱える様々な課題を解決する「包装・生産・流通設備」やシステムを提案、開発していく。

大規模な生産ラインでは数億単位の案件となり、営業職として技量が問われることは勿論、単に機械を売るだけではない、大きく「ものづくり」にかかわり、統治するためのプロデュース的センスが要求される仕事でもある。それゆえ、ルートセールスのような基本パターンは存在しない。

ただ、大まかなスタンスとしては、市場ニーズの徹底的な分析に基づき、次代のニーズに合致した機能を持つ機械を技術部門と詳細に検討。顧客の依頼に基づいたプロトタイプマシン(初号機)を開発し、それを元にセールスを展開、汎用機として熟成させていく方向性と、個別の顧客ニーズを徹底的にリサーチし、開発された(ベースとなる)機械をもとに、顧客の求めている仕様に合わせた「カスタマイズプラン」を提案していく方向性がある。

●海外営業部の誕生経緯

今回、舞台となる海外営業部は、もともと関東圏で磁気・光メディア業界を担当していた営業メンバーが中心となり発足された部門である。1972年、ソニーから依頼を受け開発に成功した「高速オーディオ用カセットケーサー」を皮切りに、京都製作所が次々と市場に送り出した磁気・光メディア関連の機械は、技術水準の高さから欧米を中心に海外で非常に高い評価を得ることになる。経営陣は、市場ニーズ、市場規模などを熟考した上で、更なる販路の拡張を目指すべく海外進出を決断し、1970年代後半を境に、積極的な海外セールスを展開。その後も、海外戦略の拠点となるKYOTO-AMERICAを設立、現地法人との業務提携等の強化や、現地エージェント、販売代理店の開拓、その一方で韓国に拠点を置くなど、アジア市場への参入など、積極的な市場開拓を続けている。

なお、本ストーリーの主役は、現在 韓国拠点の責任者である。


 DVDパッケージのディファクトスタンダードを探し出せ

「DVDパッケージングマシン」は当時、京都製作所・次世代営業戦略の柱の1つとして、最も力を注いでいる商品であった。杉田哲也は、このDVDマシン販売戦略の最前線で尽力した、中心メンバーの1人。開発において難産であったこの機械は、営業シーンにおいても様々な課題を克服する必要があった。

1997年、バブル崩壊以降、日本のマーケットが急速にしぼんでいく中、経営陣は新たな活路を見出すべく、海外マーケットに大きな期待を寄せていた。

杉田(仮名) そんな中、杉田は渦中の海外営業部に配属される。実は杉田は、ほとんど英語が話せなかった。しかし、もともと物怖じしない性格だった彼は、積極的に現場と関わった。逆にいえば、仮に英語が堪能であっても、図太い神経の持ち主でなければ海外営業はつとまらない。年間30回を越える渡航。強硬且つ過密なスケジュール(韓国や台湾への日帰りといったことも珍しくない)。合わせてコミュニケーションの難しさ、それは言葉の壁だけでなく、国民性や価値観、商慣習の違いなど様々な要因が重なってくる。肉体的、精神的ストレスと戦いながら、杉田は笑顔を絶やさず、筆談、時には絵を描いてみたり、ジェスチャーをまじえたりと、あの手この手で、様々な営業シーンを乗り切ってきた。

もともと、国内の磁気・光記録メディア業界向けの営業を担当していた杉田は、海外での業界の動向に注目していた。同じ頃、杉田の上司も欧米の磁気・光メディア市場が徐々に変わり始めていることに気づき始めていた。ディスクの急速な台頭である。「いずれ大量生産の時代がくる」そう直感した彼は、当時、まだ未知の分野であったDVDに大きな市場性を感じていた。

そんな折、ニンバスという会社から、なんとDVDのパッケージングを自動化できないかという相談を持ちかけられたのである。確かにニーズはある…そう確信した杉田ではあったが、ここで大きな壁に突き当ってしまう。

それはDVDのパッケージにあった。

当時乱立していたDVDパッケージ規格 当時北米ではCDと同じパッケージを含め、さまざまな形態のケースが乱立しており、どれがスタンダードになるのか全く読めない。流通市場はまさに混乱状態にあり、実際、DVDをケースに装填する作業は、規格の乱立から、全て手作業に頼っていた。パッケージ=包装形態のディファクトスタンダードはどれになるのか…しかし答えを待っていては確実に出遅れる。決断までのタイムリミットはあまり残されてはいない。リスクのある開発を会社に承認させるためにより詳細な情報を収集する必要があった。こうして、彼の地道な情報収集の日々が始まった。

その中でワーナー(大手映画配給会社)がアマレー(アメリカのケースメーカー)のDVDケースを採用するらしい、という情報を聞きつけ、営業と並行しながら、ディスク生産メーカー、ソフトメーカー、樹脂ケースメーカー、などをまわり、現場の生の声を集めていく日々が続いた。 杉田は、現地子会社「京都アメリカ」の営業スタッフと手分けして、より詳細な情報を収集すべく、各地を飛び回った。その結果、様々な情報が集められ、整理・集約されていった。

北米でのパッケージの標準はアマレーになる可能性が極めて高く、当然ハリウッドという巨大な映画の発信地での標準は世界の標準となる可能性が極めて高いと判断される

本社はニンバスからの開発委託を正式に了承、世界初「DVDパッケージングマシン」開発プロジェクトはついに動き出した。


 営業に苦戦する日々…だが大きな転機が訪れる

DVDパッケージングマシン・初号機
1997年春、精鋭技術スタッフの総力を結集した、世界初「DVDパッケージングマシン」第一号機が完成した。

1分あたり60ケースを処理するこの機械は、早速ニンバス社に納品された。新聞にも大きく取り上げられ、杉田はこの実績を糧に精力的にセールスを展開、本社もその動向を注目、期待をかけていた。

しかし、期待された欧米市場でなかなかな売り上げが伸びない。杉田たちの思いとは裏腹に、その結果は惨憺たるものであった。DVD市場の成熟速度を見誤ったのである。

しかも、事態は悪い方向に進展していく。この初号機がきっかけとなり、世界の名だたる設備メーカーが、改めてDVD市場の急速な拡大に目をつけはじめたのだ。しかも、この第一号機の欠点を徹底的に研究し、より優れた機械の開発に着手、杉田の焦りをよそに、立ち上がりつつある市場で次々と実績を積み重ねていった。

屈辱的な事態に杉田は、経営陣、そしてDVD開発部門の責任者である秋元課長に直訴した。

競合に勝てる、より高速なマシンの開発をお願いします。具体的には、速度は1分あたり100ケースを処理し、かつ本体はコンパクトにして頂きたい

無理は承知であった。だが、秋元ら技術スタッフはこれを快く了承した。「顧客の難題を他社にまねのできない技術力で解決する」彼らの技術者としてのポリシーが開発意欲をかきたてた。あわせて経営陣も営業の巻き返しを図るべく、新規プロジェクト設置を決定した。DVD市場における命運を賭けた「次世代機開発プロジェクト」がついに動き出したのである。再び精鋭が集められ、また斬新なアイデアを盛り込むべく、若手技術者も大胆に登用された。
DVDパッケージングマシンKYDVD-100
2000年2月、次世代機「KYDVD-100」がついに完成。

様々な技術をつぎ込んだ次世代機は、1分間に100ケースという世界最速の処理能力を持ち、しかも省スペース設計を実現。「競合マシンに必ず勝てる」杉田は新たな高性能マシンを武器に、セールスを展開した。

またその頃、日本においても彼らにとって、大きな好機がもたらされた。

その後、DVD市場を大きく左右することになる、ソニーゲーム機「プレイステーション2」のソフトパッケージに、アマレー社製を採用することが決定したのだ。

杉田の読みは当った。

次世代機「KYDVD-100」は、結果的に国内シェア100%、北米シェア85%という大ヒット商品となったのである。


※登場する人物は全て仮名です


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