Episode-09 リストラの中での戦い~飛躍の時代へ
出
バブル崩壊の影響
 
 
 
               しかし京都製作所では、安易な人員削減は行わず「真のリストラ」である「新規事業を立ち上げる」方針をとりました。もとより「人材が資産の全て」である方針のもと、不景気により人材の余力が生まれた、その「人材」に京都製作所の未来を託し、新規開発に果敢にチャレンジさせたのです。しかし、そもそも開発とは利益がすぐに出せるものではなく、従業員からは、利益を圧迫する「開発主体の経営方針は無謀ではないか」という声も聞かれました。
新分野へのあくなきチャレンジ
 
 
 
               その他にも、電子部品を組み立てる装置「電解コンデンサけん回機D190」が開発されました。この機械は、アルミ泊と絶縁体を毎分4000回転もの高速で円筒状に巻きあげ、アルミ箔に電極をかしめるというもので、技術者達は、指先でつまむことさえ困難な小さなパーツを相手に、毎日深夜まで奮闘しました。
人事制度改革
 
抜本的改革は人事制度にも及びます。日本企業で常識とされていた「職能要件型」制度を見直したのです。従来の「仕事に必要な能力」を身につければ評価されるという制度から、「仕事の成果」で評価を行う成果主義型に改めました。成果が出せた者は翌年から直ちに高い処遇となりますが、成果が出せない者はその逆となり、とりわけ「2年連続成績が低ければ降格」するという今までにないドラスティックな制度でした。
 
 
 
               液晶組立装置・電子部品組立機の開花
 
 
 
               医薬業界への挑戦
 
 
 
               VARIOはメンテナンス性向上のため、機械前面の足元に大きな空間をとり、その形状からバルコニー型と呼ばれました。まず、ワークをバケットに移裁し、カートンを箱立てして、プッシャーで能書と共に充填、最後にフラップを折り、糊付けする。こうした一連の動きにより毎分最高80箱の包装をします。後に開発される連続モーションタイプでは、最高で毎分300箱の包装を可能としました。顧客のニーズを的確に掴んだVARIOは、業界標準機と評価され、医薬業界に広く受け入れられました。
200憶円企業達成
 
橋本進が社長に就任した平成4年に、「5年後に200億円企業」を目指すと宣言したのですが、「20年目にしてようやく200億円を実現」することができたのです。
 
京製メックの貢献